ナショナル メモリアル セメタリー オブ パシフィック

日本の皆様アロハ!二月も後半、春の訪れももうすぐですね!私の実家、北海道札幌は大雪で、除雪も間に合っていないという大変な状況のようです。。

最近のオアフ島は雨季も終わったかのように雨もあまり降っていなく、お天気が良く過ごしやすい日々が続いています!

先日、時々訪れたくなるナショナル メモリアル セメタリー オブ パシフィックへ行ってまいりました。聞いたことありますでしょうか。

パンチボウルという地域にある、景色が綺麗でとても墓地には見えない、別名パンチボウルの丘。この階段を登ると戦時中の出来事の説明や教会などがあります。

7万5千年から10万年前の火山活動によって形成された高台のクレーター、パンチボウルは、古代ハワイで「Puowaina(犠牲の丘)」と呼ばれていました。罪を犯した罪人をいけにえとしてハワイ古代宗教の神に捧げる祭壇が高台に置かれていたようですが、1949年に、国立太平洋記念墓地としてオープンしました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で母国のために自らを「犠牲」にした4万6千以上の兵士が眠る丘です。

戦士たちの眠るお墓

墓石には沢山の日本人のお名前があります。そして、沢山の不戦条約に関して刻まれた石があります。

高台からの景色

祖父が健在の頃、祖父と真珠湾攻撃の地、パールハーバーへ一緒に行った時の事を少しお話しさせてくださいませ。

アリゾナ戦艦記念碑

祖父は、生きているうちに必ずアリゾナ記念館だけは見学に行きたいと言っておりました。数十年前のある日、ようやく私たちはハワイの地を踏み、日にちを決めパールハーバーへ。到着すると、普段怖いもの無しの祖父の足がすくみ、彼は涙ぐみ、ここから先は申し訳なさすぎて行くことは出来ない、と言っていたことを今でも鮮明に覚えています。しばらく立たずみひたすら手を合わせていました。

アリゾナ記念館とは、真珠湾攻撃で亡くなった戦艦アリゾナの乗組員1177人や、すべての死傷者を讃えるための慰霊施設。記念館は1962年に海底に沈む戦艦アリゾナの船体の上に建てられ、アリゾナに眠る900人以上の海軍兵の永眠の地となっています。本当に勇敢に戦ってくださりありがとうございます。

今では国際結婚や、日本人の海外移住も普通になり、当たり前のように私もアメリカで暮らしていますが、これも全て過去の歴史があってこそ、許されていることなのだと思います。

アメリカと日本の友好を記した記念碑

ハワイには他にも沢山の戦争の跡地がありますが、忘れてはならない歴史が刻み込まれているうちの一つ、パンチボウルの丘、皆様も是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

高台からの景色